『新羅』と『倭』01 世界最高の馬具

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金のイヤリング、金のベルト、角杯、ガラスを巡り、アジアを、ユーラシアを、そして時間をさかのぼり『歴史』を見てきた。

だが、金のアクセサリー、角杯、ガラスはいずれも『周辺』に過ぎない。
『北方ユーラシア文明』の周辺に過ぎない。

かくも気高きユーラシアに存在する『王者の文明』の『核心』は別の場所にある。

それを探っていこう。

そのためにはやはり『新羅』が必要だ。
この新羅の古墳、400年代に築造された古墳、新羅の歴史で最大の古墳、間違いなく新羅王であった古墳、皇南大塚の南墳から『世界最高の馬具』が出土している。

ご覧いただこう。
百聞は一見に如かず。

参照 皇南大塚
参照 皇南大塚

金色に輝く透かし彫りの下から覗く、そのエメラルドグリーンに発色する緑色のモノ、これ、『タマムシ』である。
なぜこの馬具が『世界一』だと思うか?
一つは美的観点から。
金は他の何色とも合う。金と黒、金と赤、金と青もいい。すべて合う。調和する。
しかし、この世界で、この惑星地球で、「金とタマムシの羽」ほど完璧な調和を視覚的に成し遂げたものはない。

そもそも透かし彫りは下地を透けて見えるように考えられた技法だ。
本来は絹、シルクなどの高級な布製品が下地として挟まっていたのだろう。
しかし、あえて有機質で昆虫の羽、タマムシの羽を装飾するという奇想天外な発想。
それでいて完璧な調和。
美しい。

そして『世界一』だと思う、もう一つの理由は。
このタマムシ、新羅の地、そして朝鮮半島には『いない』からだ。

タマムシはその生態上、もっと温暖で、より「南方」に生息する昆虫になる。
南方?
そう、タマムシが生息する地、それは『日本列島』になる。

このタマムシの羽、おそらく日本のものになるだろう。
実際、上記の「黄金のタマムシの馬具」は複製品にあたり、朝鮮半島でタマムシは取れないので日本で取れたものを復元にあたり使用している。

タマムシ???玉虫、玉蟲??
果て、どこかで聞いたことがあるような?
まあいいや。

さあ、新羅王は当時、このタマムシをどのように手に入れたのだろう?
まさか虫取りルックに着替えて、日本に捕まえに来たのかな?
それとも当時スーパーで販売していたのかな?
「一羽300円」てな感じで。

こうも考えられるんじゃない?
「日本からの贈り物」だって。

この「馬具」が「世界一」だと「日本人の私」が感じられるのは、それは視覚的に、美的に、調和しているからじゃない。

『新羅』と『倭』も完璧な調和の関係にあったのではないかと感じられるからだ。

今、とても危険な発言をした。
有史以来、このようなトンデモ思考、トンデモ発言、をしたものは誰もいない。

事実、新羅を歴史的に引き継ぐ現代国家「大韓民国」の学者はこのタマムシの羽を新羅産、韓国産だと規定している。
当時は今よりもっと「温暖」だったと。ゆえにタマムシも当時、朝鮮半島にいたと。

事実、倭を歴史的に引き継ぐ現代国家「日本」の学者も言う。いや、反対に、何も言わない。
なんだろう、他国の歴史に干渉することは学問世界のマナー違反なのかな。よくわかりません。

『新羅』と『倭』

『新羅』と『倭』の関係性を地上の考古遺物である『文字史料』ではなく、地下の考古遺物で見た場合、決してその両国、無視できる関係にはなっていない。

あるいは、『敵対』する関係にもなっていない。

参照 日本美術全集1
参照 馬 アジアを駆けた二千年

誉田御廟山古墳、いわゆる応神天皇陵、日本第二位の大きさをほこる天皇陵の陪塚から発見された馬具になる。
日本古代馬具の傑作のひとつであり、もちろん『国宝』である。

その文様、形式から慕容鮮卑の馬具と比較されている。

参照 三燕文物精粹
参照 三燕文物精粹

なるほど似ている。
しかし上記、「新羅」の馬具の文様の方が似てる気がする。

参照 皇南大塚
参照 馬 アジアを駆けた二千年

左が皇南大塚南墳のベルトの文様、右が応神陵の馬具の文様。
目が悪いのだろうか、文様は一緒に見える。
ちなみにベルトの透かし彫りの下にタマムシの羽を使っている。

参照 慶州 黄金文化財
参照 馬 アジアを駆けた二千年

左が新羅、右が倭。
上の馬具の文様は一緒に見える。

参照 慶州 黄金文化財
参照 馬 アジアを駆けた二千年

左が新羅、右が倭。
上の馬具の文様は同じに見える。
わたしは目が悪いのかな?というかきっと頭が悪いのだろう。
いい「生徒」でないことは間違いない。

参照 新羅黄金
参照 日本の古墳文化 慶州博物館

左が新羅、右が倭。

参照 慶州 黄金文化財
参照 慶州 黄金文化財
参照 慶州 黄金文化財
参照 慶州 黄金文化財
参照 慶州 黄金文化財
参照 慶州 黄金文化財

『新羅』。

参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑
参照 日本馬具大鑑

『倭』。

参照 慶州 黄金文化財
参照 日本馬具大鑑

左が新羅で、右が倭。

参照 日本美術全集1
参照 日本馬具大鑑

上記、藤ノ木古墳発掘の馬具。もちろん『国宝』。

参照 日本美術全集1
参照 慶州 黄金文化財

目が悪いのだろうか?
左の馬具の取っ手の先に付いてるガラス、右の新羅出土の剣の先に付いているものと同じように見える。

新羅と倭の類似製品は多い。異常に多い。
特に馬具のデザイン思想は一緒の気がする。

えっ、『馬具』なんてデザインはどこも同じだろう?
「世界基準」のデザインに合わせているのでどれも似たようになる?

たしかに「日本車」と「韓国車」は似てるような気がする。
正直、車のメーカーのマークがなければ判別できない、私には。

そうだろ?
今、「新羅」と「倭」の馬具だけを比較したんで、そう見えるだけだ。

「百済」と比較してみろ。
百済の方が、『倭』と関係は深いのだから。

なるほど。

お伝えしたい。
この「百済」。王陵から発見された装飾馬具の数をお伝えしたい。

『ゼロ』だと。

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