黄金草原11 角杯 その2

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史書における、義兄弟

西暦300年以降盛んに『兄弟』の表現が盛んになる。
そしてそれらは個人と個人の関係を超え、国家と国家の関係もまた『兄弟』で表されることになる。
なぜ国家と国家の関係を『兄弟』という『家族制度』に擬制したかについて考えると、彼らの有した権力体、政治体制がどのようであったかが垣間見える。
『夷狄』の政治体制については後ほど。

ここでは『中国至上最大の盟約』を挙げたい。

300年以降、いろいろな男たちが兄弟の契りを交わした。
劉琨と拓跋猗廬、石勒と拓跋鬱律(これは成立ならず)、石勒と段疾陸眷、石勒と段末破(こっちは親子、擬制親子)、慕容垂と鄧羌、元天穆と爾朱栄、爾朱兆と高歓、高歓と賀抜岳(馮景を介して。この時、血を啜りあっている。スキタイみたいに)、楊忠と司馬消難、その他もろもろ。

その中でも中華史上、というか人類史上最大の盟約が『唐』時代に行われた。

時の『唐』第2代皇帝『李世民』と『突厥』第14代可汗『頡利』イリリグの間で行われた。

西暦626年8月、『唐』の首都である長安に戒厳令がひかれる。
首都からわずか40里のところまで『悪の帝国』突厥が自称100万の軍勢を率いてやってきたのだ。
この人類滅亡の危機に、中華史上最大の名君『李世民』が立ち上がる。

疾風の如く自ら6騎だけを率い、川を挟みイリリグに盟約に背いたことを責めだしたのだ。
(原文:六騎幸渭水之上,與頡利隔津而語,責以負約。(旧唐書巻204))
100万の軍勢相手にわずか6騎。

やがて皇帝の後を追って軍が到着する。
しかし、李世民は軍に埋没することなく、さらに一歩前に出る。
そして何と『たった一人』で敵の可汗であるイリリグと話すことになる。
(原文:太宗獨與頡利臨水交言,麾諸軍卻而陣焉。(旧唐書巻204))

二人は一体何を話し合ったのだろうか?
史書はこの内容をなぜかまったく記さない。
というか何語で会話したのだろう?
まさか漢語かな、突厥可汗と?

何を語ったのだろうか?
中華皇帝と突厥可汗。
世界を二分する二つの頂点。二つの極星。

やがて二人は一度引き、再度、向かい合う。
便僑の上にて『白馬』を殺し、新たに『盟約』を結ぶことに。
そしてイリリグは、突厥は、兵を帰していく。
(原文:刑白馬與頡利同盟於便橋之上,頡利引兵而退。)

二人は何を話したのだろうか?
永遠の謎だ。
歴史上に存在する永遠の謎。
だが、いいじゃないか。
別に二人だけがわかっていれば。
長大な歴史に、時間に、二人だけの世界がぽつんと一つ。
そんな中国史があってもいいじゃないか。

この後、史書は語る。歴史は語る。
数年後に、唐軍に壊滅された突厥のことを。
正義が勝ったと。
正義が悪を滅ぼしたと。
世界は救われたと。

そうかい?本当かい?
だって李世民はこの敗北の君主、イリリグを殺していないじゃないか。
彼はその後も生きながらえ長安に住むことになるのだから。
突厥が『悪』で、その『悪』を扇動した悪い王がいたなら、まず最初にその王を殺すべきなのだ。
それが中華主義なのだから。
歴史がそれを証明している。

しかし李世民は殺さなかった。
中華主義では、この盟約、『約束』を理解できない。
深く、重い、杯の重みを。盟約の重みを。

李世民

この李世民とイリリグの盟約、確かに『兄弟』として表記されていない。
しかし、李世民と他の突厥との有力者との関係にはしっかりと『兄弟』と記されている。

李世民が傑物なのは何も皇帝に即位したからというわけではない。
この男、すでに即位前から傑物なのだ。
突厥のもう一人の有力者であり可汗である『突利可汗』とも『兄弟』関係を結んでいる。
(原文:突利因自托於太宗,願結為兄弟。)

さらにユーラシアの西側に絶大な影響を及ぼした『西突厥』の有力者とも、『即位前』に兄弟関係を結んでいる。
咄陸可汗という西突厥の可汗になる男の父親とすでに武徳中、つまり唐初代皇帝李淵の時代に『兄弟』となっているのだ。
(原文:父莫賀設,本隸統葉護。武德中,嘗至京師。時太宗居籓,務加懷輯,與之結盟為兄弟。(旧唐書巻205))

誰もつっこまないけど、これはめちゃくちゃ異常なことなんだ。

李世民は東と西の広大な領域を支配した突厥と皇帝になる前からすでに突厥内の有力者と『義兄弟』の関係を結んでいた。

今、文字に起こしてみた。やっぱり異常だろ。
李世民を中華主義から理解するには無理があるだろう。

そしてトップに、皇帝に即位したからこそ、突厥のトップと『盟約』をする必要があったのだろう。
ナンバー1はナンバー1と、ナンバー2はナンバー2と。

実は300年以降に始まった中華大動乱の行く末は、すべてこの『李世民』へと繋がっていった、と言っても過言ではない。
天に求められ、天に愛された男、そして天に触れた男『李世民』。
後ほど語ろう。

最後に『唐』時代の角杯を紹介して終わろう。

参照 花舞大唐春 何家村遺宝
参照 花舞大唐春 何家村遺宝

彼らはこんな『角杯』を用いて盟約をしたのかな。
『義兄弟』の盟約を。

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