太原隋虞弘墓
もう一つの近年発見された考古遺物の中に『角杯』が存在している。
紹介したい。
『隋』時代のものである。


壺を持つ男の腰に『角杯』がある。
顔は明らかに漢民族ではない。
もちろん彼は従者だ。
では彼の主人、墓の主人はどうであっただろう?
漢民族かな?


わーお、彫りが深いー。
西域の中央アジア人ですね、これ。


この長髪の男、突厥人である。
なお、中華文字史料によればこの『突厥人』、悪の枢軸らしく地球侵略を狙ってるらしい。
手始めに中華を侵略し始めたが、最終的には「正義超人」中国人が勝ったらしく、突厥は滅亡したらしい。
めでたし、めでたし。


馬に乗り、弓を引くことに長けた突厥人。
文字を持たない、野蛮な戦闘民族のサル、突厥人。
いや、突厥は文字を持った。
そしてそれをもって、突厥はそれ以前の未開なサルから進歩した。
という人たちがいる。
なぜ『文字』を基準にするんだい?
『文字』だけが指標なのかい?
重要なものが他にあるんじゃないのか。特に『日本人』なら気づくだろ。
『日本人』だからこそ気付くだろ、その価値観に。
『日本の歴史』に存在するではないか。
馬に乗り、弓を引き、武威を誉だとした者たちが。
彼らの世界は彼らだけのものではない。
繋がっているのだ。
それに『文字』を基準にするととってもマズイこともある。




だって彼、『中国人』なのだから。
史書における胡人の位置付け
ではこのような『夷狄』が、『胡人』が、深く強く中華世界に結びついていたことを『歴史書』は詳細に語っているだろうか?
『正史』は語っているだろうか?
前項で紹介した『北周』のソグド人、「安伽」。
実は彼以外にも近年多くのソグド人の墓が見つかっている。
そしてその『墓誌』によれば、彼らは当時の政権、政治体制である『北周』と必要不可分な関係であったことがわかる。
それに墓誌が示さなくても、当時の国際政治関係を見れば、ソグド人の重要性はわかる。
しかし、だ。
正史『周書』はそのことを全く書いていない。
周書に登場するソグド人は突厥に遣使した酒泉胡の安諾槃陀、というもの「たった一人」なのだ。
原文:大統十一年,太祖遣酒泉胡安諾槃陀使焉。(周書列伝第42)
この『問題』はさらに根深い。
かつて同じ親を持った「北周」と「北斉」。
この二か国、毎年のように戦争を行う。
そして最終的な勝者は「北周」。
北斉の敗因は何だったのだろうか?
中華史書は敗者に厳しい。
北斉の国家体制をボロクソに罵っている。
君主が無能だとか、政治がクソだとか、兵も将も頭がおかしいとか。
そんな中、特に厳しく糾弾しているのが、政治に『胡人』という夷狄の、外国人を深く関与させたことを挙げている。
頭の悪い外国人が政治に関わったので北斉の政治は腐敗し、滅亡したのだと。
『北斉書』には、胡人が、夷狄の人がいっぱい書かれている。
一方、勝者の『周書』には胡人は存在しない。
しかし実際に地下世界の墓誌を見れば、当時『北周』には多くの胡人がいたのだ。
政権に深く関与していたのだ。
このレトリック、醜悪だ。
勝者の世界には「中国人のみ」だったと言わんばかりの主張。
敗者がなぜ敗者となったか、それは「胡人」という夷狄を、外国人を、政権に参画させたからだという主張。
何というか、かっこよくない。
未成年の主張、「未成熟」の主張みたい。
この主張、大まじめに受け取り、北周政権下で発見されたソグド人墓地を『外国人墓地』だという人がいる。
『正史』に合わせようとする気概を感じる。
だが、やっぱりかっこよくない。
もっとヒップでホップな中国史を語ろう。
そう、彼らも、ソグドも、夷狄も、胡人も含めて『新生中国』なのだと。
義兄弟
角杯に戻ろう。
300年以降の中国史において実はこの『角杯』を用いて盟約をしたのではないかと思わせる記述が多く見受けられる。
実際、文字史料として『角杯を用いました』とは書かれていない。
自らの君主、政治主催者が『夷狄の文化』である『角杯』を用いたとは、中国人としては死んでも書けなかったのだろう。
しかし、その盟約の形態をある表現で書いている。
すなわち『兄弟』と。
男と男が盟約を交わし、『義兄弟』となる。
当然スキタイのあのシーンが思い浮かぶのではなかろうか。


この男と男の盟約、『義兄弟』。
なぜか日本人は大好きだ。
最も好きなのは三国志におけるあの三人の誓いであろう。
しかし『正史三国志』には書かれていない。
明時代に書かれた創作小説『三国志演義』をもとに史実だと誤認してるのだろう。
むしろ「モンゴル」統治以降の明時代に書かれた書物に登場すると言った方がストレートに理解できるだろう。
ストレート過ぎて怒られそう。
それぐらい『中華』の本質とかけ離れたものが『義兄弟』なのだから。
中国の『家族法』、『宗族法』では『姓』に異常に厳しい。
彼らは『姓』を人間が目視できる唯一の『宗族指標』としている。
『同姓不婚』はもちろんの事、養子を取るときも『同姓』からしか取らない。
例えば『田中さん』の家に子供が女の子しか生まれなかった。
親は『田中家』を継ぐために養子を選ぼうとする。
日本人なら別にどの『姓』でも構わない。
しかし中国人は養子の姓も『田中』に限定する。
自らの宗族を永久に伝える義務があると考えている。
彼らの家族、親族、宗族制度はガチガチに固められている。数千年前から。
彼らの思想のなかで『姓』が異なる者同士が『兄弟』となることはあり得ない。
『友達』とかならOKだけど、その関係性を『兄弟』というのはタブーに当たる。
中華史上、最も屈辱的な『義兄弟の盟約』は匈奴との盟約になる。
『悪の枢軸』匈奴は『漢』と盟約を結び『兄弟の国』となることを望んだ。
これがいかに『中華の宗族法』からしたら屈辱的なことがわかるだろう。
そして中国側はこの盟約を『和親』だと表現している。
『和睦』でもなく、『和解』でもなく、『和平』でもない。
『和親』としているのには意味がある。
つまり、『親を同じにする』としているのだ。
『親』が同じなので『兄弟』関係も成り立つと言いたいのだ。
中国世界にとって『親』の文字、そしてその意味と価値は、日本人が考える以上に深く大きい。
日本人のように『親しい』という意味で使われている場面は史書においては非常に少ない。
ここまで周到なレトリックを用いて『兄弟』関係を肯定するための表現を用いているのに、300年以降盛んに表現される『義兄弟』も中国伝統の文化だと主張するのは、なんというかせこい。
この地球のあらゆる文明の起源は中華にある、とでも言いたいのかな。
夷狄たちが、男と男が、交わした杯の重さを「中国思想」では認識できない。
事実、史書に残っている義兄弟の当事者は全て、『夷狄』と『夷狄』、『夷狄』と『漢人』であって『漢人』と『漢人』の盟約は一つもない。
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