黄金草原09 スキタイと角杯

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スキタイ そして角杯

スキタイの左衽に触れたせいで少し回り道をしてしまった。
もう一度スキタイの世界に戻ろう。

スキタイの人物像を描写した遺物の中に極めて重要なシーンを記したものがある。

参照 Greek Gold in the hermitage
参照 Greek Gold in the hermitage

二人の男が目を見つめながら一つの杯を飲んでいるシーンである。
彼らは深く強い、今生の契りを交わした。
『義兄弟』の契りを。

戦闘民族スキタイにとって死は日常的なものであっただろう。
戦場に赴き、死と隣り合わせの日々。
その中で生きながらえるには助けが必要であった。
一人よりも二人で、と。

彼らは盟約を一つの杯に委ねた。
その杯を『角杯』と呼ぶ。

この角杯で交わした約束、盟約は終生彼らが生きている間、他のどんな約束事よりも重きを置き、重要視した。
決して破られることのない盟約。
男と男の約束。

この重き深き盟約を文字を持たない民は言葉、『口語』によって行った。
文字として残っていないので契約は無効です、といった世界ではない。

彼らの交わした『言葉』を軽んじてはいけない。

参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN
参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN

文字に残っていないからといって二人が交わした言葉を軽んじてはいけない。
決して『口約束』ではないのだ。

参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN
参照 The golden deer Eurasia

彼らは何度もこのシーンを造形した。
角杯を用いるシーンというのは人生において最も重要な意味があったのだろう。

参照 The golden deer Eurasia
参照 The golden deer Eurasia
参照 The golden deer Eurasia
参照 Greek Gold in the hermitage
参照 Greek Gold in the hermitage
参照 古代ガラス 色彩の饗宴

よほど重要だったのだろう。
彼らは金、銀、時にガラスで角杯を表現した。
彼らは愛した、角杯を。
角杯で誓った盟約を。

参照 ロシアの秘宝 ユーラシアの輝き
参照 The golden deer Eurasia

角杯 そしてアジア

このスキタイの世界を最も表現している角杯、アジアでも発見されている。

参照 高句麗壁画資料編

一つは高句麗の古墳に残された壁画の中に。

参照 韓国古代土器
参照 韓国古代土器
参照 韓国古代土器
参照 韓国古代土器
参照 韓国古代土器
参照 韓国古代土器

そして新羅とその周辺の地域に。

何を言葉で付け足せばいいのか?
これで十分じゃないのか?
高句麗、特に新羅の世界はスキタイの世界に繋がっていることは明白じゃないか。
決して中国に、中華に、中華の伝統ある礼制と法制に影響を受けてるわけじゃない。

これでも歴史を『中国』中心に考えなけばならないのか?
どんな縛りゲームを強制させられているというのか。

えっ、中国にも角杯は存在してるって?
角杯は中国が起源だって?スキタイもむしろ中国文化の派生だって?
まじ?

角杯 中国での角杯

スキタイが中国文明の派生かどうかは知らないが、確かに中国で角杯を描写した図は近年、考古資料として発見されている。
だが、限りなく奇妙な図なのだが。

参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓

テントの中に男が二人。
左の男、ソグド人というイラン系の中央アジア人である。
右の男、突厥人というテュルク人、いわゆるトルコ人である。
そして二人の間に角杯がある。

参照 西安北周安伽墓
参照 参照 西安北周安伽墓

そして何よりも驚くことだが、左のソグド人、実は中国人なのだ。
中国語の墓誌と共に埋葬されていた。

『北魏』は東と西に分裂する。
『東魏』と『西魏』に。
そして『西魏』はやがて『周』となる。
いわゆる『北周』と呼ばれる。北朝の一つだ。

彼はそんな時代に生き、そして死んだ。

参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓
参照 西安北周安伽墓

ソグド人と突厥人。
交わした盟約は何であったのだろうか?

今ではそれを知るすべはない。
言葉は二人の間で確かに発せられたが、文字としては残らなかった。

この図像の世界において私たちが想像する『中国人』、いわゆる『漢民族』としての中国人は誰一人いない。

漢民族による、漢民族のための、漢民族の政治。世界。
そんな『旧中華』の、『旧世界』の時代は終わりを告げた。

西暦300年代、想像を絶する戦いが中国で繰り広げられた。
『中華』と『夷狄』の対立。
『文明』と『文明』の対立。

その二つの『文明』は生まれた場所が違い、育ってきた場所が違った。
彼らの価値観は容易には相容れなかった。

渦巻く憎悪、嫌悪、嫉妬、そして絶望。

『違う』からこそ対立し、『違う』からこそ強烈に反発したのだ。

そして『違う』からこそ、それらが混じり溶け合い『一つ』になったことが、より美しく感じられるのだ。

中華は『旧秩序』を捨て去り、『新秩序』による『新中華』を完成させた。
光り輝く『新中華』を、そして『新世界』を。

『隋・唐』という奇跡は中華軸をただ単純に延長した先に生まれたわけではない。
混じり、溶け合い、重なり、一つとなった先に生まれた奇跡なのだから。

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