北魏の給料体制
北魏に触れたので少しだけ述べたい。
後に深く、強く、言及することになるが、今は少しだけ。
この『魏』、『北魏』、歴史家は「中国国家」、「中華王朝」とみる。
しかし、文字史料においても、出土遺物にしても、彼らを「中華世界」の中で位置付けするのはとても難しい。
とても「窮屈」なのだ。
彼らがいかに中華世界にとっての『異物』であったかの証拠はいろいろある。
その中でより中華世界にとっての「おかしい」ことを一つ上げたい。
実はこの『北魏』、俸禄がないのだ。
給料が支払われていないのだ。
官吏はいる。官僚はいる。役人はいる。国家公務員はいる。
だが国家は給料を支払っていない。
公務員に給料を支払っていない国などあるのだろうか?
古代中国が到達した政治制度の極致として挙げられるものに「官僚制度」がある。
皇帝を頂点に抱きながらも、政治の実務は優秀な「官僚組織」にゆだねられる。
いわゆる、政治家が無能でも官僚が優秀なら万事事足りる、という制度がそれだ。
近代国家が到達した国家運営、国家制度をすでに2000年も前から完成させ、導入しているのが『中国』なのだ。
いかに中国人が優秀で、先進的なのかがお分かりだろう。
そして官僚は国家が幅広く徴税した財源をもとに俸禄を頂戴する。お給料が支払われるのだ。
ところが『北魏』はお給料を支払っていない。
このことは既に今から200年前の『清』時代の考証学者であり、優秀な中国人である趙翼が『二十二史箚記』という書物で指摘している。
『後魏百官無祿』 (二十二史箚記)
ここでの『後魏』は『北魏』のこと。
公務員に給料を支払わない国家、ブラック国家、『北魏』。
この体質、国家体制、拓跋宏の『漢化政策』で是正される。
さすが英主「孝文帝」、拓跋宏。
官僚に給料を支払わないなんて中国国家じゃない。
中国国家になりたければ「ちゃんと」、俸禄ありの国家にするべきなんだ。
で、その後、俸禄ありのホワイト国家『北魏』になったのかな?
史書は記載する。
西暦550年、天保元年5月、それまでの『魏』を終わらせ、新しい王朝『斉』が誕生する。
いわゆる『北斉』にあたる。
その中にこんな一文が記載せれている。
『自魏孝莊已後,百官絕祿,至是復給焉。』(北史巻7斉本紀)
北魏時代の孝荘帝、元子攸(即位528年)以来、百官に俸禄は支払われていなかった。
そこで『北斉』は俸禄を支給し始めた。
なんと拓跋宏が漢化政策を行ったにもかかわらず、たった数十年で俸禄なしの世界になってしまった。
俸禄なしのもとの未開、未熟な世界に戻ってしまった。
おーまいがー。
そして史書は言う。新王朝『北斉』は俸禄を支給しますよーと。
未開じゃないですよー、ちゃんとした「中国国家」ですよーと。
つまり彼ら、中国人にとって国家が役人に俸禄を与える、支給するというは自明の理に当たる。
それ以外の世界は想像できないし、存在もしない。
あり得ないのだ、国家の成り立ちとして、世界の成り立ちとして。
ところでこの俸禄なしの役人、百官はどのように生活を成り立たせていたのだろうか?
彼らも一生活者である。
国からの給料がない中、どのように生活の糧を得ていたのだろうか?
歴史家はその考証において、『民からの収奪』を挙げている。
なるほど、上から貰えないなら、下から奪えと。
一見合理的な考えだ。倫理には劣るが。
野蛮な国家『北魏』、未熟で未開な『北魏』。
中華を基準にすれば『北魏』は永遠に未達、未熟だ。
だが別の見方がある。
別の視線がある。
この俸禄なしの国家体制。
実はとある国の、とある時代に出現する。
とある国の、とある時代の話
とある国の、とある時代。
その答えは『日本』になる。
日本の『鎌倉時代』にあたる。
実は日本に誕生する『鎌倉幕府』、この幕府、支配下の者に『俸禄』を支払っていない。
高校のテストや大学入試センターで『幕府』が俸禄を支払っていたか、いなかったのかという問題が出るそうだ。
そしてその答えは、『正解』は、「支払っていない」になる。
なぜこの問題が出るのかというとそれまでの律令政治、中国模倣政治の中では国が支配を置く官吏、役人に給料を支払うのはいわば当たり前だからである。
一種の引っ掛け問題なのだろうか。
そう『鎌倉幕府』は『中国政治』と根幹が全く違う世界になる。
『幕府政治』は中国を基準にすれば、未熟で、未開で、野蛮な政治体制なのだ。
実際、京都の王朝文化、中国文化に属している『公家』の文字からはその様子がありありと書かれている。
文字も書けない読めない、未熟未達で野蛮な、馬に乗るだけが取り柄の東国の戦闘民族、サルだと。
まるで中国人が『夷狄』を、その自らの価値観で測るように。
どうして『日本』の中に、『中華』と『夷狄』が存在するのだろうか?
そしてこの『幕府政治』、『夷狄政治』を日本は、日本人は、『日本のもの』だとしている。
日本人が自発的、あるいは時代の流れでたまたま、出現したものだとしている。
はぁ??当たり前だろう。
どっからどう見ても武士は、侍は、日本人だろうが?
それにどっから『北魏』と『鎌倉幕府』を一緒に考えるバカがいるか、と。
こっからはテストに出ない。
この『北魏』の統治者である、『拓跋』。実は頭を剃っていた。
『被髪左衽』の被髪はもう一つの意味がある。
髪を剃っていたことである。
拓跋が『明確』に頭を剃っていたかどうかの記載はない。
中国の文字記録にはない。
中国人の統治者であり君主であったにもかかわらず、あるいはそうであったからこそ、記載はないのかもしれない。真意はわからない。
だが拓跋は頭を剃っていた。確実に。
「禿髪」という姓の者たちが同時代の中国にいた。
タクバツ、タクハツ、同じ音韻だ。
禿髪、つまり頭を剃っていた。
一方には自らの君主となったため『拓跋』と漢字を与え表記し、一方には反逆者、あるいは敗北者ということで『禿髪』の文字をあてる。
文字による区別、差別。中華思想が垣間見える。
頭を剃る民族は『拓跋』以前にもいた。
史書に髡髮、髡頭、コンパツ、コントウと表記されるものたちだ。
彼らは史書に登場するときから既に頭を剃っていた。
つまりずっと以前からそうだったのだ。文字記録で測れないぐらい、ずっと前から。
西暦414年、南涼王『禿髪傉檀』の子、『禿髪破羌』は北魏に亡命する。
やがて即位する北魏第三代皇帝拓跋燾はこの禿髪破羌に「拓跋」と「禿髪」は源が同じという理由で姓を授ける。
『源』氏と。
そう正真正銘、史上最初の『源氏』である。
原文:世祖素聞其名,及見,器其機辯,賜爵西平侯,加龍驤將軍。謂賀曰:「卿與朕源同,因事分姓,今可為源氏。」(魏書列伝第29)
後に大陸から遠く離れた塞外の地、日本にあって、皇族から臣籍降下した者たちに『姓』を与えることになった。
与えられた姓は『源』氏。
偶然、たまたま、『源』の字を与えたわけではない。
当時、日本の知識層、知識人たちはこの『北魏』の故事をもって、『源』を与えたのだ。
もちろん、証拠として文字記録は残ってない。
しかし、間違いなくこの故事を参照にしている。
中国正統王朝、南朝、中華王朝とは隔絶した世界の北朝、『北魏』の故事を、だ。
当時の日本人の知識人にとって『北魏』は20世紀、21世紀の日本人が見るような視線で『北魏』を認識していない。
彼らは『北魏』を『正』として、『聖』として見ている。
そもそも奈良の『平城京』という王都の名も、『北魏』の都『平城』から取っているのだろう。
決して奈良時代の人は、北魏の漢化後の首都『洛陽』から名前を取って『洛陽京』とはしなかった。
あくまで北方世界の首都「平城」から取っている。
彼らにとって、記憶がまだ失われる前の私たちにとって、北魏は、『魏』は、別の認識をしていたのだ。
『中華』としての指標ではなく、『別の指標』において、『正』だとしていたのだ。
そしてこの日本の『源氏』もまたなぜか頭を剃っている。
一体、武士は、『源氏』はいつから頭を剃り始めたのだろうか?
何故、頭を剃ったのだろうか?
一つ試案がある。後に述べよう。
やがて源氏はそれまでの政治体制を文字通り転覆させ、まったく『別次元』の世界を創出することになる。
この源氏の別次元の政治体制、すなわち『幕府体制』。
中国の国家体制を基準にすれば恐ろしく未熟だと言われることになるだろう。
しかし実際、存在し、機能している。
そして鎌倉幕府が終わったとしても、その後も何百年も『幕府政治』は続く。
頭を剃った者たちによって。
そしてこの『幕府政治』が何だったのかと深く考察すれば、同時に中華世界が描く「法による」、「官による」支配体制、すなわち『律令体制』とは違う世界の存在を認識することになる。
その一つが俸禄にあたる。
鎌倉幕府がどのような世界であったかを知るとき、俸禄なしの世界であった『北魏』の世界も垣間見えるのだ。
果たして北魏社会にとって国家から俸禄が貰えなかった者たちは民から収奪していたのだろうか?
鎌倉幕府から俸禄が貰えなかった者たちは、やはり民から収奪していたのだろうか?
『公』ではない、文字による『成文法』、『明文法』といった『律令制度』ではない世界。
『文』ではなく『武』を誇示し、『私的』に結合を繰り返す世界。
極論を述べよう。
『幕府政治』とは『北魏政治』を行っていたのだ。
逆に言えば『北魏』は『幕府政治』を行っていたのだ。
中国の『北魏』と日本の『鎌倉幕府』を一緒に考えるなんて頭がおかしい?
バカじゃないか?
中華の世界が中国以外に出現すると、例えば西域に、朝鮮半島に、日本に、出現すると声高々に言う人たちがいる。
「中国の先進文明を享受して」「文明は高いところから低いところへ」と。
そしてそれが当たり前だと。
未開が開明になり、文明は進歩するのだと。
では「中華以外の世界」が他の場所に現れることはない?
当たり前だ。だって中国だけが文明なのだから。
未満から未満に、未熟から未熟に何が流れるのだ?
そうかい?
果たしてそうかい?
中国だけが高次の政治体制を作ったわけではない。
アジアにはもう一つ中華に匹敵する、あるいは中華を凌駕する政治体制が存在した。
中華絶対主義者は絶対認めようとしない。
よって永遠のループに陥ってしまうが。
そして、その歴史の証拠が『日本』になる。
何故『日本』の中に『中華』と『夷狄』が混在するのか?
かつてタクバツであったタクバツが源になり、一方のタクバツもまた元に、ゲンになり、やがて別の場所で誕生する源が生まれ、ゲンが盟主となる世界。
その二つは共に頭を剃り、共に『馬』に乗っている。
偶然ではない。
時代を超え、場所を隔ててもなお、出現するもう一つの文明の極致。
日本史は奇妙な『縁』でアジア史と繋がっている。
世界史と繋がっているのだ。
今、日本史を日本から解き放とう。
日本史を日本の中だけに留めておくには余りにももったいない。
それはとても『窮屈』なのだ。


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