中華史料における左衽
中国史料で最も有名な左衽についての記載ははおそらく論語にある次の記載であろう。
微管仲,吾其被髮左衽矣(『論語』憲問)
もし管仲がいなかったら、今頃われわれは被髪左衽にさせられていただろう。
被髪左衽、つまり髪を束ねない、左衽の人間は、異民族、中華民族とは別種の象徴として表現されている。
論語を読んだことないので管仲が誰か知らないけど、孔子様はさぞ被髪左衽がお嫌いだったことはわかる。
そう、実は中国では必ず右衽なのだ。
例外はない。
中国人はファッションで右衽、左衽と入れ替えたりはしない。
今日のパーティーは左衽にしょうかな?とは絶対に思わない。
必ず右衽なのだ。
むしろ右衽に固執することが自らを他者と隔てた別格の存在だと主張することになっている。
中国において左衽するということは、異民族の、夷狄の支配を受け、蛮族の風習、習慣を強制させられるという表現に結びついている。
この『服』制の問題は私たちが考えている以上に深い。
『征服』、『帰服』、『屈服』、『服従』、『服属』、そして『不服』。
すべて『服』がつく。
偶然ではない。漢字は、中国文字は、中国思想を見事に表現している文字になる。
彼らにとって『服』の問題はとてつもなく大きい。
自らを別格の存在であると視覚的に捉えるためにも、彼らは右衽なのだ。
右衽であることが必要だったのだ。









『例外はない』。
高句麗・新羅、そして
では中国の東はどうだろうか。
中国は当然、超大国、超文明国、憧れの地、見本となる国、模範の国、その『服制』を取り入れたいだろう。
よく歴史を学ぶ上で聞く言葉がある。
『中国の先進文化を学び、取り入れるために』なんとかかんとか、と。
では高句麗を見てみよう。






あら不思議、『左衽』なのだ。
高句麗は『左衽の意味』を知らなかったのか?
中国では左衽は夷狄の、野蛮の、劣った、未熟の、未開の民族の象徴であることを知らなかったのか?
そうではない。
高句麗は知っていた。『左衽の意味』を。
だが、右衽にしなかった。
なぜ?
中国なんてどうでもよかったのだ。
中国の服制、礼制なんて興味なかったのだ。
彼らの、高句麗の世界は、中華思想の外にある。
そう、『左衽の世界』に。
『夷狄の世界』に。



ではお次は新羅を見てみよう。


新羅の服制がどちらかであったかがわかる史料はこれしか残ってない。
しかしこれで十分だろう。
新羅もまた『左衽』なのだ。
いわば必然であろう。
中華世界とはかけ離れた黄金の衣装を身にまとう新羅にとって、彼らの住む、存在する世界とは「非中華的世界」、『夷狄の世界』に他ならないのだから。
倭は、日本は、私たちはどうだったのだろうか?
百聞は一見に如かず。
「見て」みよう。






『倭』も、『私たち』もまた『左衽』であったのだ。
たまたま?偶然?
誰かは言う。
倭は島国だから、孤立していたから、独立していたから、他国、他者は関係ない。
本当に?
倭は一体いつから『左衽』だったんだろう?
わからない。
この当時、当世においての服制を知るための重要な資料である埴輪、『人物埴輪』。
実は400年以前は存在しない。
それ以前に古墳はあった。埴輪もあった。だが人物を描写した埴輪はなかった。
もしかすると200年代、300年代は右衽で、400年代から左衽であったのかもしれない。
もしかするとずっと、縄文、弥生時代から、ずっと左衽だったのかもしれない。
確実なのは400年代以降、間違いなく『倭』の服制、制服、正服は『左衽』であったという事実だ。
私たちはその教育上、常に古代の歴史を中国と結び付けた関係でみる。
いかに文明国「中国」と関係があったことが、交渉があったことが、重要とみる。
なんだろう、文明国と交渉を持てるほど自分たちも文明国だったと言いたいんだろうか?
卑弥呼と邪馬台国が『魏』と交渉をもったことしかり。
倭の五王が『南朝』という『中華正統王朝』と交渉をもったことしかり。
『倭』は間違いなく知っていた。
中国は右衽で、夷狄は左衽だと。
おそらく卑弥呼が下賜された服は右衽であっただろう。
400年代、倭が訪れた中国の江南の『南朝』ではみんな右衽であっただろう。
しかし『倭』は、『私たち』は、右衽にしなかった。
左衽なのだ。
なぜか?
中国に興味がなかったからだ。
答えはシンプルにして簡潔だ。
もし中国に興味を持ち、敬い、その高度な文明を享受しようと思ったのならば、服制を右衽にし、『文字』を学ぶはずだ。
しかし埴輪のどこを見ても『文字』はない。
『倭』は未熟な文明なので、文字を理解できる知性を持たなかった?
そうだろうか?
当時の彼らは文字を、あるいは中国文明そのものに興味がなかったのではなかろうか。
彼らが見据えた視線の先には中国ではない『別の世界』があったのだ。
一体彼らは何を見ていたのだろうか?
コメント