スキタイの装飾品 アクセサリー















金のイヤリング、金のブレスレット、金のネックレス。
金色の世界。
後に『新羅』というアジアの東端、ユーラシアの最も東に伝わる文化の源流である。
だが新羅が最も東端ではなかった。
やがてこの文化は、文明は、海を渡ることになる。
『馬』と共に。
スキタイ人の写実表現
さてこの金色の世界のスキタイ人。
一体いかなる容姿をしていたのだろうか?
気になるところだろう。
そして幸運なことにその疑問の答えを知ることができる。
なぜなら、彼らの遺した遺物の中におそらくはギリシャ人の工人によって作られたと思われる極めて写実的な表現を施したものがあるからだ。













さすがギリシャ人。
これらが2500年前のものだと信じがたいほどの精巧さで作られている。
そしてその容貌の、容姿の特徴を見事にとらえている。
彫りの深い顔、豊かな髭、長髪。
そして注目すべきはその服、上着の合わせ方だ。
彼らは一様に左手が懐に入る合わせ方をしている。
この上着の合わせ方、中国では古来よりこう呼んでいる。
『左衽』。さじん、と。
左衽の世界












このスキタイ人、一般的にはイラン系の民族だとされている。
古代ヨーロッパを、西ユーラシアを震え上げさせたスキタイ人。
一見歴史を俯瞰すると東アジア史において、中国史において、まったく関係なさそうに思える。
だが、そうではない。
西暦300年代の中国において深目、高鼻、多髭、の容貌を史書に記載した中華皇帝がいたことをご存じだろうか?
曹操、孫権、劉備が覇権を争った100年後の中華は、まったく別の様相を呈していた。
上記のスキタイ人の容貌のままの男たちが『中華皇帝』として君臨した時代があったのだ。
史書は言う。彼らのことを
『被髪左衽』だと。
髪を束ねない、そして『左衽』だと。
またこうも言っている
『人面獣心』だと。
人の顔をしているが心は獣だと。
史書はこの事実を雄弁に語りたくない。
そしてその意向を汲み取った歴史家もまた多くを語らない。
しかし語るべきだ。
あるいは語る時が来たのだ。
不法の時代、不当の時代。
暗黒の時代。
だがもう一つの光の時代。
なぜ西暦400年を境に倭に、日本に、日本列島に、今まで存在しなかった『馬』が出現するのか?
そのカギを握っているのがこの中国の300年代に他ならない。
しかしなぜか語られない。
なぜか朝鮮半島と倭の関係でしか古代の歴史を見ない。
それは間違っている。
中国の300年代を知らなければ、朝鮮半島と倭の関係も見えてこない。
中国の300年代を語らなければ、後の『隋』、『唐』、が何故世界帝国となったのかも見えてこない。
中国の300年代こそ『歴史の核心』なのだから。
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