黄金新羅 馬具

































彼らは『馬』を金色に染めた。
馬を愛していた。
そして馬の価値がとても高かったのだ。
人以外に、貴人以外に唯一金色が許された存在。
それが『馬』なのだ。
決して彼らは犬のリードも猫の鈴も、あるいは羊や、豚も金色に染めなかった。
馬だけなのだ。
馬は特別な存在、まさに『別格』なのだ。
歴史における『馬』の位置づけはとても深い。
いろいろな人がいろいろな事を言っている。その全てを紹介すればおそらく頭が混乱すると思う。
ということで、ここではシンプルな事実を一つお伝えしたい。
それは「今に至るまで中国人、漢人と言われている人たちの墓から騎馬用の馬具は発見されていない」ということだ。
ここにも伝統的中国世界の伝播ルート以外の存在をうかがえる。
ではどこから?
それはおそらく高句麗からだろう。
次は高句麗の馬具を見てみよう。
高句麗 馬具











高句麗人もまた『馬』を金に染めた。
彼らもまた馬を『貴』なるものとして扱ったのだ。
決して馬は「家畜」、「畜産」、「畜生」といった『畜』ではないのだ。
私たちは歴史認識において、この馬を『畜』ではなく、『貴』なるもの、『聖なるもの』として扱わなければならない。
それはとてもとても重要なことなのだから。
なぜなら中国の文字史料を追えば、そこにはいつだって馬は『畜』として書かれている。
家畜の『畜』、六畜の『畜』と。
馬は使役の対象物だと。
しかし『畜』ではなく『貴』なるものとして扱った人たちがいる。
彼らは墓に馬具を入れた。
あの世でも、死後の世界でも、馬と共に、と。
人は、人類は、馬と共に多くを成し遂げた。
馬なしの人類史、歴史など存在しないのだから。
それにしても似てる。
まさしく新羅に伝わる前の年代の様子が見える。
そして似てるのは馬具だけではない。



















高句麗の遺物は非常に少ない。
しかしながら新羅世界の原初をうかがわせるものばかりだ。
この二国、力関係で言えば明らかに高句麗が強者だろう。
ではその関係を単純に『支配』、『被支配』で捉えるべきなのだろうか?
三国史記によれば、この二国、常に抗争を中心に描かれている。
確かに最終的には破綻する。そして中華王朝「唐」を巻き込んだ大戦争へと突入することになる。
しかしそれ以前はどうだったのだろうか?
関係が破綻する前はどうだったのだろう?
「高句麗」と「新羅」。
極めて良好で幸福な時代があったのではないだろうか。
でなければ、ここまで積極的に新羅は高句麗の世界を吸収しないだろう。
その世界を自らの国において表現しないだろう。
幸福で安定的で、共存し、共栄した時代。
そんな時代も確かにあったのだ。
さて、お次は高句麗よりさらに古層、そして現在において東アジア最古の装飾馬具を紹介しよう。
高句麗の西隣、『燕』国の馬具を。
慕容『燕』の馬具を。
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