黄金新羅 ブレスレット・指輪


























頭のてっぺんから足の先まで文字通り黄金人間。
ここで少し混乱してみよう。
あふれるぐらいの金。まさに黄金の国、新羅。
この有り余るぐらいの金製品の数々。まるで新羅は金の産出量が多い国のように思える。
金の産出が国富の源泉だと思える。
ところが現在に至るまで、未だに新羅の領域内で金の鉱山は発見されていない。
文字資料の中にも、現代的な科学的な調査においても。
ある人は言う。かつては金の鉱山があったが取りつくしたために、現在に至るまで記録が残っていないと。
ある人は言う。金の鉱山はないかもしれないが、砂金ならあったと。
本当だろうか?
おそらく新羅は交易によって金を獲得したのだろう。
しかしこの交易、通商、貿易、外交によって獲得したというのはなぜか無意識に避けられる。
これは『国家』の設定が自給自足、独立、独歩、独尊であるべきだという錯覚に陥っているために起こる現象なのだが、なぜこのような発想になってしまうのだろう?
おそらくこの『国家観』に多大な影響を与えているのが中国の歴史認識なんだろう。
大国『中国』は他国、他者との対等な通商、交易、貿易を一切認めようとしない。
すべて『朝貢』の二文字に集約してしまう。
中国国内の巨大な内需と大規模な生産力が自国内ですべて事足りると錯覚してしまうのだろうか?
彼らにだって必要なものは外の世界にあるかもしれないのに。
この通商、交易の関係性を実際の認識においても、言葉の表現においても古代中国世界は発展できなかった。
進歩できなかった。
この自己完結された歴史認識。
私たちも気を付けたい。日本史を日本の中だけで捉えてしまうクセはないだろうか。
脱線した。新羅に戻ろう。
黄金新羅 うつわ・ネックレス





















なんと容器まで黄金。
日用品なのだろうか、それとも葬送用に特別に仕立てられたのだろうか。
いずれにしても壮観である。
そしてネックレス。もちろん金だ。
だが少し様子がおかしい。
その胸の中央、デザイン上の中心に添えられた、緑の石、あるいはそれを模倣して作られて金製のその形。
どこかに見覚えがないだろうか?
これ実はヒスイの勾玉なのだ。
新羅でもヒスイを『産出』できたのだろうか?
当然のことながら多くの韓国人はこれを新羅産、現在の国名で言えば、韓国産だと言っている。
だって新羅古墳から出たのだから。
しかしながら現在に至るまでヒスイの産地は韓国のみならず、朝鮮半島、中国大陸でも見つかっていない。
別のアイデアがある。
彼らは交易によって別のところから獲得したのではないだろうか?
例えば、それはどこになるのだろう?
さあ、推測は一旦お休みにして次はベルトを見てみよう。
この金のベルト、非常に重要な存在なのだから。
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