黄金新羅 冠帽
百聞は一見に如かず。
まずはご覧いただこう。めくるめく新羅の世界を。















まずは帽子から。
これは木材の白樺でできた冠帽の上に被せるためのもので、王、王族、貴族のために特別に仕立てられたものになる。
新羅古墳の副葬品を整理すると、明らかに金、銀、金銅と墓のランクに合わせて序列され副葬されている。
身分制度は見た目からわかるようになっていたのだろう。
そして翼型の飾りは冠帽と一体型になっており、実はこれ高句麗の強い影響を見て取れる。



新羅の古墳から見つかる黄金の遺物はほぼ全て西暦400年代初頭から500年代半ばのわずか百数十年の期間に収まる。
偶然にも中華史書からその姿を消した期間に当たる。
おそらく新羅は高句麗と極めて密接な関係にあったのだろう。
文字資料からもそれぞれ、三国史記、日本書記、好太王碑、中原高句麗碑、壺杅塚から発見された青銅器に「好太王」の名があることなどからも推測できる。






面白いことに新羅最大の古墳、皇南大塚の南墳において高句麗製だと思われる銀冠が見つかっている。
新羅で他に類例を見ないため、高句麗からの贈り物ではないかと言われている。
上記の銀製の冠帽もまた皇南大塚の南墳からの出土品になる。
これは新羅国内で見た場合、明らかに王である皇南大塚の被葬者は、国際関係、つまり高句麗との関係においては銀、シルバー、二番手だったのかもしれない。
黄金新羅 耳飾り・垂飾・冠飾り




































次に耳飾りに移ろう。ここに載せたのはほんの一部に過ぎない。
極めて多彩で、ほかの人と違うデザインを楽しんでいたのだろう。
非常に多くの新羅の貴人が耳にイヤリングをしていた。
もちろん男性も女性もだ。
そして衝撃的なのは耳にピアス、イヤリングの穴を開けていることになる。
はぁ?何言ってるんだ?と思うだろう。確かに。
しかしこれがいかに中国世界から見たら異様なのかがお分かりいただけるだろうか。
古代中国人は絶対に絶対にピアス穴、イヤリング穴を開けない。
親から貰った体に自ら傷をつける、穴を開けるなんて非道、無道、悪道以外なにものでもない。
彼らの到達した高次の文明体系においてピアス、イヤリングのために体を傷つけるなんて、親不孝以外のなにものでもないのだ。
事実未だに古代中国人の副葬品からイヤリングが出土したためしがない。
はてなぜ新羅は中華世界からかくも遠い場所にいるのだろう?
彼らは中華文明からほど遠い。ゆえに未熟、未開、未達なのだろうか?
このまま新羅を追ってみよう。
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