新羅の歴史
新羅の歴史を簡単に振り返ってみよう。
時に西暦300年台、後に触れるように中国大陸は有史以来最悪の状態、沸騰する地獄の釜のような、悪夢が現実で現実が悪夢のような状態が永遠に続いていた。国家は乱立し、不正、不当、不統が続き、中国人には大変つらい、まったく触れたくもない時代になっていた。そして実際に触れないのだが。
この時代に朝鮮半島に、百済、新羅と、国家が次々に建設されたのは決して偶然ではない。
かつては『漢』王朝の、そして魏、晉、と続く歴代中華王朝の掣肘を受けてきた朝鮮半島。
しかし今や(300年台)、中華王朝の自壊によってタガが外れため、それぞれの在地勢力が政治結集を行い、自立、独立の道を模索し、国家建設と進めていくことになる。
それは中華王朝を含めた東アジアの政治的大編成への序章に繋がっていくことにもなるのだが。
百済、新羅、そしてそれ以前から存在していたがより強大になり姿を現す高句麗。
この三国をもって史家はこういう『三国時代』と。


さてここで新羅の歴史で注目する点がある。
それは377年、前秦へ高句麗とともに遣使していることである。
これは中国史書における年代順として初めての『新羅』の登場でもある。
「春,高句麗、新羅、西南夷皆遣使入貢於秦。」(資治通鑑巻104)
春、高句麗、新羅、西南夷は前秦に入貢した。
極めてシンプルな記載だが非常に重要な記載になる。
なぜなら、中華正統王朝『東晋』ではなく、非正統王朝、異民族王朝、北朝、『前秦』、そして『天王』、苻堅に遣使していることになるからである。
それは決して新羅を考える上で中国を、伝統的中華王朝の影響を中心に考えるべきでないことを示唆している。
事実、新羅の古墳、考古資料からは中国文字の出土が異常に少ない。
おそらく両手で数えられるぐらいしか出土していない。
『中華以外』を考える。
それは文字、中国文字、漢字を追いかけるだけでは決して掴めない世界を考えるきっかけになる。
そして382年、再び前秦の下に新羅単独で遣使を行う。
《秦書》曰:符堅建元十八年,新羅國王樓寒遣使衛頭獻美女。國在百濟東,其人多美發,發長丈餘。
又曰:符堅時,新羅國王樓寒遣使衛頭朝貢。堅曰:「卿言海東之事,與古不同,何也?」答曰:「亦猶中國,時代變革,名號改易。」(太平御覧)
382年、新羅王樓寒は衛頭を使わし美女を献じる。国は百済の東にあり、そこの人は髪が長く、美しい。
また苻堅の時、新羅王樓寒は衛頭を朝貢に遣わす。
苻堅曰く「卿が話している海東の事は古く聞いていたこととは異なる。なぜかな?」
答えて曰く「中国と一緒で時代が変われば名号も改めます」
まるでなぞかけのような問答の末、新羅は歴史から突如消える。
いや中華文字の歴史から消えるのだ。
次に中華文字に現れるのは
「其國小,不能自通使聘。普通二年,王募名秦,始使使隨百濟奉獻方物。」(梁書巻54列伝第48)
新羅は小国のため自ら遣使できない。521年新羅王募秦は百済に随うことによって初めて方物を献じることができた。
空白の140年。
小国、新羅。
この小国、『最弱国』新羅がやがて三国時代の勝者となる。
歴史の大いなる矛盾。
その矛盾を解くカギが新羅古墳の考古遺物に垣間見える。
中華世界から消えた140年。それは中華以外の空気を濃密にも呼吸していた時代でもある。
そしてこの中華以外の空気をめいいっぱい吸い込んでいた国がもう一つ。
そう、他ならぬ、我われ『倭』なのだ。
新羅と倭
日本書記を通読した読者の方はご存じだと思うが、基本的に新羅は『敵』になる。
新羅が好意的に書かれている場所はわずかに天日槍の話ぐらいで、後は常に『敵』として書かれているし、描かれている。
新羅征討の話は何度も出てくる。
そして幸運にも朝鮮側の正史である三国史記においても新羅の『敵』として倭が書かれている。
両方の、両国の正史が双方に敵だと書いているため、読み手であり、読者である、我々はそれを『信じる』。
そこに疑いはない。
そこから先は考えない。
考えないようにできている。それが普通で、常識で、教育的でもあるからだろう。
正史に疑いを持つことはおそらく罪の一種なのだろう。道義的にも。
歴史を学ぶときに常に倭と、日本と、友好国で関係の一番深いのは百済だと教わる。
そして百済と倭の関係を軸として、基本として歴史を考える。
テストで日本と関係の深い朝鮮諸国はどこかと問われれば百済と書けば〇で、新羅と書けば×なのだ。
しかし、考古遺物が語る世界は大きく異なる。
ご存じだろうか?
ごく少数の専門家を除いてこの考古遺物の存在を知らない。知らされない。
なぜだろう?
興味がないから?関心がないから?
フェアではない。
文字世界による抽象的で観念的な歴史空間は間違いなく正しく存在する。
しかし、視覚による、ビジュアルによる、文字世界とはまったく異なる歴史空間も存在してはいいのではないだろうか?
その上でもう一度歴史を考えてみたい。
感じてみたい。
もっと直感的で、本能的な、歴史を。
行こう、非正統の歴史へ。
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