日本書紀における馬の登場
日本書紀において『馬』はどのように登場するのだろうか?
古代最大の英雄、ヤマトタケル。
彼は西には九州にて熊襲を討ち、東には東国の果てまで行って賊を討っている。
まさに一人で日本列島を横断しているのだが、実は、彼、『馬』に乗っていない。
彼は西に行くには『船』に乗り、東に行くにも『船』に乗っている。
日本書紀の編纂者が当時の、720年の、軍事的価値観を持って古代最大の英雄を脚色しようと思えばヤマトタケルは『馬』に乗り国賊どもを蹴散らした、と記載してもよかった。
だが、彼は馬に乗っていない。
船に乗っているのだ。
馬の最大のメリットはその移動スピードにある。
人間の、人類の脚力をはるかに超えたその足で行軍のスピードを桁違いに上げた。
また、単純に物体、物質、のスピードを上げただけでなく『情報伝達』という面でも馬以前の世界と全く異なる次元を与えたのだが。
いずれにせよ、ヤマトタケルは『馬』に乗っていない。
『船』に乗っているのだ。
このヤマトタケルの時代はいつのことなのだろうか?
200年代か300年代になるのだろう。
日本書紀の編纂者たちは『知っていた』。
ヤマトタケルの時代に『馬がいない』ことを。
その意味において日本書紀の記載は極めて正確なのだ。
新羅征討
では一体、『馬』の記載が出てくるのはどこだろう?
それが、奇妙にも、偶然にも『新羅』と絡んで出てくる。
神功皇后率いる倭軍は海を渡り、悪の国『新羅』に攻め入る。
恐れおののいた新羅王は戦わず降伏。
そして頭を下げ、こう言う。
『從今以後、長與乾坤、伏爲飼部。其不乾船柂而春秋獻馬梳及馬鞭、復不煩海遠以毎年貢男女之調。』
今後、未来永劫、倭に仕え『飼部』となりましょう。船を乾かすひまも与えず、春秋に馬の櫛、馬の鞭を献上しましょう。
倭に頭を下げ服従した新羅は飼部となり、馬の櫛、鞭を献上する。
これは『文字表現のレトリック』としては非常に巧みだ。
つまり、服従した、隷属した状態、上下の関係で下の位置にある新羅は『飼部』、つまり『馬飼部』となっている。
この「記載を読めば誰しもが」新羅は倭に服属し、そして下の位置づけにあるものは馬飼という卑しい世界に従事することになったのだ、と感じるようになる。
下が馬だと言っているのだ。
下が馬?????
ここには『馬が貴なるもの』『聖なるもの』として存在していない。
この文字世界、この中国文字で書かれた世界では『馬』は卑しい、隷属、下属したものの世界にある。
このサイトにおいて、なぜ長きに渡って「馬の世界」の画像を提供してきたのか?
それはまさにこの1点にある。
「文字が伝え、イメージする世界」と「実際にそこに実在した世界」と大幅な乖離があるのだ。
実際、倭の古墳からは馬を、馬だけを金飾に飾り立てた馬具が出土する。
当時の人たちは馬をとても価値のあるものとして扱っていたのだ。
しかし、後世の文字史料、これは日本書紀だけではない、三国史記も、中国史書もすべて、『中国文字』で書かれた歴史書は馬を不当に扱っている。
馬を下賤な世界に押し込めている。
文字を使って。
多くの人は『文字』を勘違いしている。
それは多分、文字を、漢字を、小学校で習う初等教育だと認識しているためだろう。
文字の識字率は文明の尺度となっている。
読めて当たり前、書けて当たり前。
ゆえに当たり前すぎて深く考察しない。
しかし『文字の発明家』、にして『文字使いの天才』、中国人はこのような認識はしていない。
彼らは完璧に文字の意味も、価値も、そして『作用』も知っている。
文字を読むことで、文字が読めてしまうことで、人間の知覚をコントロールできることを知っているのだ。
彼らは宇宙の端から端まで誰よりも中国文字、『漢字』の本質を知っている。
決して私たちのように文字についてナイーブではない。
彼らは意図的に、人為的に、文字を選択し、世界を構築している。
『馬に従事する世界の者は下賤だと』
『中華』の下だと。
中華思想と文字は切っても切り離せない。
文字で歴史を追えば必ず中華思想の世界に迷い込んでしまう。
永遠のループ。
困った。
と言っても歴史をたどるには文字情報しかない。
OK、大丈夫だ。
馬がある。
文字が意図的に貶めた、あるいは封じ込めた『馬』。
馬に乗ってみよう。
馬に乗って、馬の背から見た歴史を見てみよう。
それは少しだけ歴史を『高みの見物』として見ることになるだろう。
三国史記における新羅
神功皇后の新羅征討の続きを語ろう。
頭を下げて隷属した新羅王に対してある家臣が殺すべきだと述べる。
しかし神功皇后の答えは『NO』。
彼女は言う。
『初承神教、將授金銀之國。又號令三軍曰、勿殺自服。今既獲財國、亦人自降服。殺之不祥。』
『金銀の国』を授かったと。
実は歴史書において新羅を『金銀の国』と表現した箇所は中国史、朝鮮史、にはまったくなく『日本書紀』のこの部分だけになるのだ。
1900年代に入って次々と新羅古墳から金、銀、の文字通り『お宝』が発見された。
しかし朝鮮史、『三国史記』において新羅が金銀、財宝にあふれた国だった、というのは全く、一行も、一文も書いていない。
というわけで、新羅が金銀財宝の国だったという史実性は常に他国の『日本書紀』から引用される。
西暦1145年、金富軾によって完成された最古の朝鮮史『三国史記』。
日本書紀の成立が720年なので、それよりも400年も後に出来ている。
このことを持って「日本の勝ち」だという人がいる。
朝鮮史の完成は日本より400年も『遅い』。
日本の高次文明体「中華」の摂取は朝鮮よりも400年も『早い』と。
遅いとか早いとか、勝ちだちとか何を言ってるんだか、、、
さて新羅の黄金文化は大体西暦400年代初頭から500年代中頃まで続く。
その後、なぜか、ばったり、突然消えてしまう。
新羅が中国史料に現れるのは382年の前秦、苻堅への遣使を最後に、521年までまったく断絶される。
まさにその中華から断絶された期間が新羅の黄金文化の絶頂期なのだ。
そして521年以降、新羅は中国史料に散見するようになる。
すると、どうだろう、新羅から黄金が消えた。
新羅から『夷狄』が消えたのだ。
この中華文明へのアクセスと『夷狄世界』の消失は偶然ではない。
中華の空気を大きく吸い込めば、夷狄は消える。消えざるを得ない。
中華思想を受諾すれば、夷狄は下賤な世界に押し込められるのだ。
『三国史記』を書いた金富軾は新羅が黄金世界だということを知らなかったのか?
600年も前のことなので忘れ去られてしまっていたのか?
そうではない。
彼は『知っていた』。
古代新羅、中華文明に旋回、傾斜する前の新羅は黄金の装飾品に身をまとい、金冠を被り、そしてそこに『倭』のヒスイの勾玉を掲げていたことを。
知っていたが、彼は『書かなかった』。
中華教育を受けた彼は『文字』の本質を知っていた。
文字が伝える歴史の意味を。
ゆえに書かなかった。
書いてはいけないのだ。彼の教養が、知性が、そう言ったのだ。頭の中で。
彼の高い知性、高い見識、高い教養がそうさせたのだ。
新羅が、さらに言えば金富軾、彼自身が新羅王室に連なる出自を持つため、その新羅が『夷狄』の世界に属していたなんて言えない、書けないのだ。
高麗史を読めば金富軾が朝廷に仕えた期間は大変な時期で、特に『北方』から頭のおかしい、そして『頭を剃った』、『馬に乗る』女真人にめちゃくちゃ悩まされている。
ちなみにその前は頭を剃った契丹人にめちゃくちゃにされている。
契丹、女真ときて次はモンゴルという頭を剃った馬に乗る暴力集団にめちゃくちゃされている。
さらに朝鮮半島国家が不運なのは、高麗が滅亡して朝鮮国となった後にも、南から『頭の剃った』『馬に乗る』『日本の武士』にめちゃくちゃにされている。
朝鮮半島は常に北から頭の剃った『野蛮人』と南から頭の剃った『野蛮人』に襲われていることになる。
かわいそう。
というわけで高い中華教養、中華強要を持っていた金富軾はお馬に乗る野蛮人が大っ嫌いなのだ。
金富軾だけじゃない。
歴史上、中華教養を身につけたものはみんな、『馬が嫌い』『野蛮人、未開人』が嫌いなのだ。
野蛮人未開人は教養、知性を持たず、持つものたちに隷属する、あるいは『隷属すべき存在』なのだ。
かつて自らの母国『新羅』が未熟で野蛮だったなんて書けるわけない。
『馬』を愛したなんて書けるわけない。
そして私たちは選択された文字を読み、こう言う。
『歴史』だと。
これじゃあんまりだ。
もちろん文字が伝える情報も重要で正確だ。中華思想情報としてはだが。
しかし馬が伝える情報も、また重要で正しいのだ。
この『文字』と『馬』が交差し、二つの世界が重なり、溶け合い、一つになる時代があった。
『文字と馬』?
今、馬の歴史的価値を極大にまで高める必要がある。
馬を語ろう。
それが必要なんだ。
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