『新羅』と『倭』05 金冠

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金冠

さて、西暦400年以前に日本列島にいなかった『馬』が突然、その姿を現した。

一方、『倭』のお隣で敵国の『新羅』でも400年を境に、ある『異変』が生じている。

それまで、300年代を通じて一度も出現していないものが突然出現する。
それは『王冠』だ。

王がその王権の象徴として、冠ることになる『王冠』。
彼らは、新羅人は、この王冠を金色に染めた。

すなわち『金冠』。
ご覧いただこう。
新羅の金冠を。

参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla
参照 Gold Crowns of Silla

この新羅の金冠、東アジアへの母国愛、郷土愛を持たない、アメリカやヨーロッパの学者は決して中華世界の延長として捉えない。
むしろ長く深い、中華世界以外のユーラシアに起源を求める。

参照 China Dawn of Golden Age200-750AD
参照 阿富汗国家博物館珍品

歩揺を愛した慕容の冠、そして同じく歩揺をつけるアフガニスタン出土の金冠と対比させる。
当然だろう。
なぜならこのような冠、絶対に中国ではしないのだから。

参照 帝王図
参照 帝王図
参照 帝王図
参照 帝王図
参照 帝王図
参照 平城文物精粹
参照 平城文物精粹

だれも金冠をつけない。

アジアにおける、ユーラシアにおける金冠は『夷狄』の文化の中に存在する。

参照 三燕文物精粹
参照 中国北方草原古代金銀器

鮮卑の中に。慕容の中に。拓跋の中に。

参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA

スキタイの後裔たちの中に。
鹿、樹木、そして鳥。

参照 COKPOBИЩA
参照 COKPOBИЩA
参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN
参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN
参照 THE GOLD OF THE SCYTHIAN
参照 kazakhstan GoldenMan
参照 kazakhstan GoldenMan

金色の世界の中に。

参照 中国服飾史図鑑
参照 中国服飾史図鑑
参照 中国服飾史図鑑
参照 契丹王朝 内蒙古遼代文物精粹
参照 契丹王朝 内蒙古遼代文物精粹
参照 契丹王朝 内蒙古遼代文物精粹

『新羅』を中国と比較するのはやめよう。
上記の者たちはみんな「中国人」じゃない。
「中華世界の住人」じゃない。
「夷狄」の人間たちだ。

ヒスイの勾玉

新羅の金冠が中華以外の世界に通じてるの見た。
金冠だけじゃない。

金のネックレス、ブレスレット、イヤリング、ガラス、角杯、そして馬具の副葬。

それらは一貫して、包括して、その起源を、影響を『北方ユーラシア文明』に結びつけることができる。

だが結局のところ、草原の文明は文字を残さなかった。
ゆえに上記に掲載した図像の意味も正確にはわからない。
あるのは学問的な「解釈」に過ぎない。

なぜ、彼らが樹木を見立てて冠にしたのか?
なぜ鹿や、鳥が重要だったのかはわからない。

わからないが、感じることはできる。
彼の世界の一部を。
草原の世界の一部を。

さて新羅の金冠について話そう。

従来、新羅の金冠の『見解』はここで終わっている。
つまり北方ユーラシア文明の東への最終伝搬として。
広く、深い、ユーラシア文明の一つの形態がなんと大陸の端っこの端っこまで届きました、と。

しかし、そこで留めるべきじゃない。
『日本人』なら全員、この金冠を見て思うことがある。
疑問に感じることがある。

その金冠の飾りにつけられている、それ。
その緑の曲がった石についてだ。

この緑に輝く石、「ヒスイ」である。

なぜ『敵国』である『新羅王』の頭を飾る『金冠』の装飾として、『ヒスイの勾玉』があるのだ?

この疑問の答えはこうだ。
なぜならこの「ヒスイの勾玉」、新羅の出土品だから。朝鮮半島の出土品だから。
韓国の学者は大真面目でこう言っている。
まじ????

では日本の意見はどうだろう?
日本の意見は、『沈黙』。

?????
なぜ沈黙するんだろう?他国の国宝に、あるいは固定化された歴史観に「ケチをつける」のがマナー違反なのかな。よくわかりません。

実はヒスイの産出地は極めて限定されている。
特に硬玉としてのヒスイはアジアでは日本とミャンマーでしか発見されていない。

中でも一大産出地は日本の新潟県の糸魚川から見つかっている。
日本の古代におけるヒスイの玉はすべて糸魚川産のものである。

しかし、この事実を日本人は長らく『忘れてしまっていた』。

ウソみたいな話だが、古くは縄文時代から何千年と愛好したヒスイをほんの80年ほど前までは、中国から輸入品だと思っていたのだ。日本人は。

なんだろこれ?私たちは重要なことは忘れる運命にあるのだろうか?

というわけで、1921年、新羅最初の金冠が発見された古墳、『金冠塚』を日本人考古学者、梅原末治が発掘したにも関わらず、彼はこの「ヒスイの勾玉」を「日本の古代と同様」、「中国からの輸入品」だと考えた。

日本の古代と、古代新羅は「中国産」のヒスイを偶然にも、同様に愛好したと。

しかし、1938年に糸魚川でヒスイが「発見」されたことで、それ以前の「常識」が変わってしまった。
日本で発見された勾玉のヒスイはすべて日本産ということになってしまった。

さて、困った。
それでは新羅の金冠のヒスイの勾玉も「すべて」日本産なのではないか?
ところがそうは簡単にいかない。

愛国心、忠誠心、国粋主義はいとも簡単に科学的判断を超える。

韓国の学者はこれを『朝鮮半島産』、『韓国産』だとする。
そして日本の学者は『沈黙』する。

この二か国がそのような態度に徹しているのにはわけがある。
朝鮮正史『三国史記』は新羅の敵として『倭』を描いている。
日本正史『日本書紀』は日本、倭の敵として『新羅』を描いている。

理知的な人が沈黙するのにはわけがある。
正史を重んじるという、日本人なら、近代国家人なら、当然の義務を遂行しているに過ぎない。
『新羅』と『倭』が友好的な関係だというのは困るのだ、単純に。
それぞれの正史と都合がつないので。

ならばあえて『法を犯そう』。

これはおかしい。
新羅王はその金飾の世界の頂点、頭上に掲げた王冠、金冠の装飾に『倭』のヒスイの勾玉をこれでもかというぐらいにつけているのだ。

両者の関係、両国の関係を『敵』だとするにはあまりに整合性がつかない。おかしい。

そして勾玉は金冠だけに現れない。

新羅における勾玉の装飾

参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
慶州 黄金文化財
参照 新羅黄金
慶州 黄金文化財
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 新羅黄金
参照 Gold Crowns of Silla

彼らは腰に、首に、耳に、「勾玉」をした。
『倭のヒスイの勾玉』をした。

なぜ新羅はこれほどまでに「勾玉」を愛したのだろうか?

韓国人ならこう言うだろう。
『倭』、『日本』なんて関係ない。
新羅王はこの勾玉をスーパーで買ったのだ。
あるいはちょっとお高めの百貨店で。

日本からの見解はどうだろう?
『新羅』は属国。正史に載ってるではないか、成敗したと。
『新羅』は小国。倭を大国だと崇めたため、ヒスイの勾玉を崇めたのだ。
『倭』に従属したのだ。
ゆえに倭王は新羅に勾玉をつけるのを強制させたのだ。

本当???

もう一つ、別の見解ができる。

『新羅』と『倭』はとても親しい関係にあったのではないか。

『倭』と『新羅』はお互いを尊重しあい、必要としたのではないか。

二つは、あるいは二人は完璧な調和にあったのではないか。

もちろんこんなことを学校で言えば怒られる。
テストに書けば0点だろう。

しかしもう一度、自分の目で見て感じて欲しい。

新羅王は『倭の勾玉』を、『倭の勾玉だからこそ』、その金冠につけたのだと。
そして『倭』の王もまた最高級の勾玉を新羅王に贈ったのではないかと。

お伝えしたことがある。
このヒスイの勾玉、400年代『倭』と極めて親しい関係にあったとされる百済王陵から出土した数、

『ゼロ』だと。

お伝えしたことがある。
長きに渡ってみてきた新羅の黄金の世界。
正史「三国史記」において記載されているその箇所、

『ゼロ』だと。

一文字も一画も、一マイクロミクロンも記載がないことを。

『文字』では追えない世界がある。
『文字』では追えない歴史がある。

困った。
だって『歴史』は文字でできているのだから。
あるいはこうも言える。
歴史は『中国文字』で全てできているのだから。

OK、大丈夫だ。

もう一つ歴史を追えるものがある。

そしてそれは『新羅』と『倭』が完璧な調和であったことを示唆するものでもある。

そう、『馬』だ。

『馬』を追おう。
『馬』を追うことは『歴史』を追うことになる。

馬は導いてくれる、私たちを。
『もう一つの歴史の中に』。

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